スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

尊敬する歴史上の人

鹿児島の話を書いたので,またフト思い出して。

「尊敬する歴史上の偉人」なら,人それぞれでしょう。
でも,タイトルであえて「偉人」としなかったのは,
この方の評価は,表だっては,あまりよろしくないからです。

薩摩藩家老の,調所笑左衛門広郷(ずしょしょうざえもんひろさと)

下級武士の出ですが,その才覚を認められ,家老にまで抜擢されます。
そして,藩主から,大変な使命を受けます。

藩の財政を立て直してほしい

おそらくその瞬間,彼は死を覚悟しただろうと私は思います。
というのは,薩摩に限らず,幕末にはどこの藩も財政危機にありました。
豪商から金を借り,返せないのでまた借りる。
つまりは,サムライが商人に頭を下げる時代になっていたのです。

で,彼はどうしたか。

まず,薩摩藩に金を貸している商人たちを全部呼び集め,
「250年かけて返す」という証文に書き変えるよう,脅迫するんです。

当然,商人たちは大激怒して彼に詰め寄りますが,彼は一歩も引きません。
返さないとは言っていない。250年かけて返すというだけだ
(まあ,事実上の踏み倒しに近いですけどね。ちまちま返してはいるし)

次に,徹底的に藩内の農政改革にとりかかります。
例えば,種子島などではサトウキビからとれる砂糖がありますが,
それを推し進めるだけでなく,収穫をほとんど取り上げてしまい,
農民たちには過酷な労働を強います。

また,密貿易や,専売制など,かなり危ないことも積極的に行います。

こうして,わずか数年で,薩摩藩の
500万両もあった借金は消え,逆に貯蓄が50万両もできたのです。

この潤沢な資金のおかげで,薩摩藩は西洋の近代的な技術を取り入れたり,
維新の時にガンガン動けたりできたわけです。

しかし,彼はついに幕府から嫌疑をかけられ,服毒自殺で世を去りました。
(お家騒動が一番の原因でしたが,改革の責任は元からとる気だったでしょう)

確かに,彼のやり方は,「清廉な政治改革」とはほど遠いものです。
ある意味,無茶苦茶です。搾取された方は,たまったものではない。
しかし,藩全体として見た時,彼は,たしかに,将来を残してくれたのです。

調所笑左衛門への評価は人それぞれでしょうが,
例えなんと言われようと,泥をかぶってでも,「結果」は残した人です。
再評価されたのは,ずいぶん後になってからですが・・・。

鹿児島に生まれた私としては,この人の人生は強い印象を受けたので,
「尊敬する歴史上の人」です。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

メフィーナ

Author:メフィーナ
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。